ニッポン・天気晴朗なれど波高し

2018GWに「アゴラ」に投稿・掲載されました。せっかくだから時事ネタ系ブログでも始めようかと。立ち位置は右というよりは左です。

三浦瑠璃の徴兵制論と「現代の戦争」

注目の国際政治学者・三浦瑠璃氏。自分も数冊読んでいますし「山猫日記」も愛読しています。直近のエントリーでは財務省セクハラ問題について書かれていますね。三浦瑠璃といえば数年前に「徴兵制論」で話題になっていました。自分も、その頃、氏を知るようになった気がします。

 

ネット等でも、当時の原稿は読めます。「三浦瑠麗「日本に平和のための徴兵制を」 | 文春オンライン」などなど。これって結局、井上達夫氏もほぼ同じ立場と思いますが、「集団的自衛権」「9条改憲」が議論されるなかで、「戦争と現実的に向き合う国」になるための「あるべき姿」というか、ひとつの論理的な帰結みたいなことなんだろう、と思って当時読んでいました。実際に、徴兵制なんて導入している国は少数派ですし。

 

昨年末にでた「もの言えぬ時代(朝日新聞)」を今頃、読んだのですが、そのなかでも「アレは理念解」と三浦氏は述べてますね。「血のコストを平等に負担するための理念解」として明言されており、それはそれで理解できます。

 

「もの言えぬ時代」を読むと三浦氏は徴兵制論で大きな非難を浴びたことを気にしているようでして、当時、「この人(三浦瑠璃)は頭超良いし、徴兵論は世の中の反応を見るテストマーケットと炎上ビジネス」位に自分は感じていたのですが、ちょっとマズかったかなと反省しています。

 

さて。「現代の戦争論」的なものを少々。これは、何故、徴兵制を導入する国が少数派なのかということと繋がるのですが。

 

結局のところ、現代では戦争が「高度化」してしまって、一例をあげると現在の「歩兵」なんて「ネットワークの端末」みたいなものになっている訳です。装備はネットワーク化され、高コスト化しており、求められるスキルも非常に高い。「CQB(近接戦闘)」なんてひと昔前は、特殊部隊の専売特許でしたが、今は陸自の普通の兵隊さんでもやるんじゃないでしょうか。

 

つまり平和主義が浸透して、徴兵制導入国が減ったとかではなく、徴兵制自体が現実的ではなくなったのだと思います。徴兵した兵隊さんなんて、役に立たないんですよ、現在では。誤解を恐れず言えば近代の「総力戦」って、ある種、「民主的なカタチ」だと思う訳ですが、そういうモノとは、程遠い所まできてしまった。「血のコストを平等に負担する」ことさえ困難な状況になってしまったといいますか。

 

もう一方で、興味深いものは「PMC(民間軍事会社)」なんてものも欧米ではできている。いわば戦争のアウトソーシング化といいますか。概念として言えば「戦争の外部化」でしょうか。ただPMCが戦うのはテロだったりする訳で。このテロっていうのが、もう戦争なのか日常なのかも判然としないもので、いわば「社会に内在化」しているような状態になってしまっている。

 

正直、「現代の戦争」って考えれば、考える程、よく分からない複雑な様相を呈しているんだと思います。核による大国間のパワーゲームのようなものもありますが、それが全てじゃないという気がします。

 

結局、「血のコストを平等に負担する」ってもう実効性がないのかもしれませんね。そういうものは近代の国民国家を前提としているとも思えますし。とすると、何かちがう原理が必要なのかもしれません。それが何なのかはよく分からないのですが。「徴兵制論」に関していえば、なんといいますか「頭の体操」としては有効ということなんだろうと思います。

 

「もの言えぬ時代」では三浦氏が「むしろ、9条を信仰する人が戦争を起こす側にまわる」と書いていて。これは、言わんとするところは分かる気もするのですが、少々、違和感も感じます。9条原理主義者が生れた責任は、何処にあるのか、みたいなことなのですが。次回、その辺を書くつもりです。

 

しかし、三浦瑠璃って、やはりアグレッシブな物言いしますよね。感心してしまいます。