ニッポン・天気晴朗なれど波高し

2018GWに「アゴラ」に投稿・掲載されました。せっかくだから時事ネタ系ブログでも始めようかと。立ち位置は右というよりは左です。

山根会長から杉田議員に脈々と受け継がれるニッポンの系譜。

日本ボクシング連盟の山根会長。ホント、スゴイですよねぇ。日大アメフト前監督・内田氏もスゴかったですが、輪をかけてスゴイ。

 

小心者の自分としては「こんな国が、オリンピックの開催国でいいの?!」と思ってしまうのですが、まあ、いいんですかね。世界中のアマチュアスポーツの全てが清廉潔白ではないかもしれませんし・・・??。

 

山根会長も内田前監督も共通点としては

◆御自分では何が問題か、多分、判っていない。

◆いわゆる、一言でいうと・・・前時代的。

◆世界とか/外の世界に無関心で、身内的かつ妄信的。

◆周りの人も、結局、何も言えない、あるいは聞かない。

・・・といったところでしょうか。

 

で、コレを「老害」とか「昭和の残滓」とか言ってしまえば、カンタンなんですが、そうとも言えないんじゃないかということで・・・杉田議員の<LGBT×非生産的>論文です。

 

杉田議員にも上記の四つの特徴のかなりの部分が当てはまる気がします。まあ「人権」とか「多様性」とかが世界中で重要視されているなかで、個人的な意見ならともかく、議員先生がソレを言っちゃマズイでしょ、というのが前提としてある訳ですが。

 

ともかく『>彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。(<新潮45>2018年8月号。)』と書いたらアウトでしょう、これは間違いなく。

 

少し離れて、大きめの潮流を考えれば、日本のLGBT論とかダイバーシティマネジメント論とかは、やや「弱者保護的」というか、やや「後ろ向き」感があると思えるのです。欧米の最新のソレの本質は「多様性の確保が競争優位性づくりに寄与する」とか「多様性のある組織がイノベーションを創造できる」とか、いわば「前向き」感というか、成長・発展のために社会全体が積極的に取り組むべき課題という認識が根底にあるのだと思います。

 

そのようなトレンドに対して、杉田議員のあまりの・・・前時代性、そして無関心さ。

 

『>どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。(<新潮45>2018年8月号。)』・・・と書いてしまえば全て済んでしまうのかもしれませんが。このへん自国や自分の組織の特殊性を言い立てるのは、会長的な論理と共通性がある気がします。しかしながら、やはり取捨選択のうえ、優れた点は取り入れるべきだと思うのです。

 

それがsince1868の日本の伝統だと思いますし。この150年間、大筋としてはコピペ&キャッチアップを基本としつつ、そもそも「社会構造の違い」があるのは自明ですし、その差異を元手に成功や失敗を繰り返してきたのが日本だと思いますし。

 

これは歴史観の違いもあるのかもしれません。

 

ただ、もし仮に杉田議員が真正のリビジョニストなら「勉強不足」とか「世界標準に準拠せよ」とか言ってもムダでしょうね。リビジョニストにグローバルスタンダードを要求するのは、それは言う方が悪い気がしますし。